スノモノモ

20代メーカー勤務社畜による日々の雑記です

猫が死んだ

飼っていた猫が亡くなった。

 

何回か尿結石と急性腎不全をやっていて、ずっと通院していた。今回もまた腎不全の症状で入院していたときのことで、なかなか腎臓の数値が下がらなくて入院が長引き、急変してそのまま息を引き取った。

 

仕事も忙しくてなかなかお見舞いにも行けなかった。亡くなったその日は土曜日で、やっと一週間が終わった休日だ!と珍しく朝早く起きて午前中に会いにいった。先週よりもかなりぐったりしていたので、とても不安になったのを覚えている。

 

点滴で腎臓の数値を下げてからでないと手術は出来ない(結石があるせいで数値が悪化していたので取り除かないといけない)、長期間の点滴のせいで血液が薄まっている、腎臓の数値が悪いことで食欲が無くなっている。八方塞がり状態だった。

先生は色々と説明をしてくれて、それでも「死」については一言も話さなかった。だからなんとなく、今回もまた元気になって帰ってきてくれるんだよなって思っていた。

 

 

面会していた最後、すごくしんどそうなのにお腹を出して転がってくれた。甘えちゃってー可愛い奴め〜早く治してお家に帰ろうな〜なんて言葉を掛けて撫で回していた。

 

また明日来るからねと病院を後にした数時間後、先生から「すぐに来てください」と電話が入った。

母が死んだときも、祖父が死んだときもそうだった。病院からかかってくる電話は、大体がそういうことなのだと。

 

慌てて病院に行くと、呼吸器を付けて心臓マッサージをされている猫の姿があった。あの後呼吸が荒くなり、急変したそうだ。

 

家族に連絡をして、そうこうしているうちに拍動がなんとか落ち着いた。自発呼吸も少しずつ戻ってきた。ああ、大丈夫だ、助かるのかもしれない。希望の灯りが少し見えた気がした。

 

その後先生はずっと前向きな言葉をかけていてくれたのだけど、自発呼吸がまた止まり始めてしまってから少し経って、「いまこうして心臓が動いてるのもかなり奇跡的で、頑張っている状況」だと言った。そのときにやっと、奇跡が起こらないと助からないのだと悟った。

 

そこから日付が変わるまで数時間、もう自発呼吸はすっかり止まってしまっていた。

私達が掛ける「頑張れ」という言葉に応えるかのように、心臓はずっと動いていた。頑張って生きようとしていた。

 

日付が変わる頃、先生から安楽死の話をされた。心臓が動いているのに安楽死を選ぶことがどうしても出来なくて、もしかしたらとても辛い思いをさせてしまったかもしれない。何が正解だったのかは恐らく答えは出ない。

 

どうしようもなくて、「辛かったら無理しなくていいからね、本当に今までありがとうね、ゆっくり休んでいいよ」って言葉を何回か掛けた。その数分後、少しずつ心臓は動きを止めていき、虹の橋を渡った。

 

 

今思えば、これは完全にエゴ的な考えだけど、土曜日の朝に会いに行くまで一生懸命に生きて待っていてくれたのだと思う。会社なんて行かないでもっと早く会いに行ってあげれば良かった。

みんなの頑張れって言葉にも懸命に応えてくれてたのだと思う。辛かったよね、ごめんね、ありがとうね。

 

もう少したくさん一緒に居たかった。猫種的にも病気に掛かりやすく、平均寿命が短いらしい。それでも、もっと色々な時間を過ごしたかった。

もっと遊んであげれば良かった。仕事から帰ってきて疲れて、遊んであげないで寝てしまったりしなければよかった。もっとたくさん撫でてあげればよかった。もっと、もっと。後悔は全く尽きない。

 

 

 

最期は家族みんなで看取ることができた。みんなで声を掛けてあげられた。それは唯一の、残された側にとっての救いになっている。

先生も、「想いは必ず伝わってるんです。入院も、処置も、安楽死の決断も、全てに正解は無いんです。ただ、人の想いは必ず動物に伝わってます」と言ってくれた。

 

 

 

 

母が死んだとき、人がなんのために生きているのか分からなくなった。

頑張って生きても、突然に病気に掛かって苦しんで苦しんで死んでしまう。大切な存在が苦しみながら居なくなってしまうのが辛くて、こんなに辛いなら、そういう親密は関係は最小限で良いとも思った。

 

猫が死んで、悲しくて苦しくて辛くて、もうこんな思いをしたくないと思った。けど、それ以上に、今までありがとうという気持ちが大きくて、出会えて良かったなぁと強く感じられた。

 

その瞬間になんとなく母のことも腑に落ちて、大切な存在に出会うのは、苦しくて辛いこともたくさんあるけど、それ以上に幸せなこともたくさんあるのだと思えた。

生き物の死別は避けられないけど、それを恐れて何にも出会わずに生きるのは違うのかもしれない。

 

 

どうか私にとっての大切な存在が、死の間際に「幸せだった」と思える生を全うして欲しいと思った。

そこに自分が関係しているかは別として、最後がどんなに辛くても、それ以上に幸せだったと感じてほしい。

それは私にとっての救いでもあるし、希望にもなる。

 

他人がどう感じたかは知ることができないから、(ましてや人間ではない生き物であれば尚更)私がもし死ぬときには、幸せだったよと伝えたい。今まで出会った存在に対して、残される存在に対して、幸せだったんだと表明して死にたい。

 

 

 

 

さっき友人の猫の動画を見ていて、うちの猫が子猫のときにネズミのおもちゃを咥えて犬のように投げては拾って持ってきて投げては拾って持ってきて、を繰り返してた姿を思い出した。

大人になってからも、帰宅した瞬間にすり寄ってきて足元で転がる姿を思い出した。人が屈んで掃除をしているところ、背中に飛び乗って喉を鳴らしていたのを思い出した。

どれも大切な思い出だ。悲しみは深いけど、うちの猫に出会えてなかったらこの思い出は無かったのだ。

 

来世とか虹の橋とか天国とか、あるのかは分からないけど。もしあるのなら、久しぶりに再会する母と一緒に、たくさん遊んで幸せな思い出を振り返って待っていて欲しいと思う。

 

母が死んだときから、死んだらそこで全てが無になりおしまいだと思っていた。

けど、幸せになってほしい存在がいると、天国みたいな場所があったらいいなとついつい考えてしまう。

私もたくさん幸せになろう。たくさん貰った大切な思い出を忘れずに生きようと思った。